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2014年01月14日
ブライダル広告写真のレタッチの難しさ
 レタッチの難しさは気持ちにある。  
 賛否両論あると思うが実に細かく面倒で、また意向の反映に何度もやり直すことも多い。撮影時間を越えないように、と括りは自分で作ってはいるが、半日コース、全日コースはざら。座っていることに疲れ、画面を見続ける事にくたびれる。技術的方法論はやりまくってもがき苦しめばすぐ身に付くものだが拷問のようなやり続ける時間を想像すれば取り掛かりに躊躇する。
 
 こんなレタッチだがいいこともある。終わりの時。不思議な事にどんな苦しくても終わりの時はある種の解放感を持てる。またボケ防止にも最高なんじゃないかとよく考える。
 
 それだけ?それだけでいいんです。
 ふざけている訳でなく、日々の仕事で得られる喜びは悲しい位小さなものです。長い期間をかけた大きなプロジェクトの終わりの、人生で10本の指に入るような達成感、喜びも勿論あります。でも、ほとんど毎日が同じことの繰り返しです。自分自身をマネジメントする方法は多くの本やセミナー、ミーティングなどで知ることが出来ます。そういった場で教わる答えはもっと系統化された素晴らしいものだと思いますが私は教わりに行ったことはありません。毎日の小さな目標の達成感で美味しいビールが飲めるからです。
 
 今回の話しのコアはここにあります。
 何か理由、または条件付けをすることにより、作業が意味ある仕事に変わります。時間?キレイな青空のはめ込み?覚えた技術の駆使?なんでもいいんです。そんなことをしなくても毎日頑張れる!そんな方もおられます。苦しいと思ったこともない。そんな方もおられます。凡人はそうはいきません。
 
 撮影をしている方が楽しくても、楽しいことばかり選べば未来はありません。
私にとってレタッチはそういうものです。
 私の写真は私のレタッチの時間を経て完成されます。データ地獄に入らなければ地獄から解放されません。何より終わった時の解放感を味わいたい。だから今日もイスに座り続けます。
  033.jpg The Destino