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2014年09月25日
写真の仕事に付いた理由
 よく尋ねられるのだが、私は今でも写真は天職だと思って疑わない。ただ、写真を大好き、という方向ではなく自分の生活のために写真を撮っている思いの方が強いのではないかと思う。難しいニュアンスだが、会社組織として50人を越える従業員を抱えている姿もまた私の仕事である。
 
明治生まれの私の父は写真家だった。機材で知らない人はいない"アンブレラ"を開発した人で他府県に撮影の仕方を講演して回っていたらしい。またサンタバーバラの写真の殿堂に日本人として初めて殿堂入りしている。私が18歳の時、父は75歳だった。もう現役を退き、自宅で何時間も汗まみれで花を撮影していたこと、よくわからないミノルタのやたらと長いレンズを大切にしていたこと、アブストラクト(抽象的)が口癖で私には理解できない写真でピカソの絵のような歪んだ中に想像させる何かをねじ込んだ写真を自慢していたこと。もうそれくらいしか写真家の父のはっきりした記憶は見当たらない。高校の時に初めてカメラを持った私は動物園に行かされた。何をどうしていいかも分からず、とりあえず36枚の撮影をした。人生初の一眼レフ撮影がここだった。
 
大学で2輪のレーサーを目指した私は日々バイクで速く走る事だけに真剣で、写真などに全く見向きもしていなかった。ただ、18歳からリーガロイヤルホテルの結婚式の写真室でアルバイトを始めた私はそこから今日に至るまで写真を撮り続けることになる。
 
大学を卒業する前、就職活動をするが私は理由あってレーサーを諦めることになりやりたいことも特に見当たらず、そのまま父の会社を継ぐ、そんな気持ちのまま就職活動もせず日々を過ごしている。そんないい加減さが社会で通用するわけもなく、社会人になり初めて強烈な挫折を知ることになった。
守られていることに気づかず、自分の視野の中でしかモノが見えず、当然写真の本質など見向きもせず、それでいて給料の低さや従業員の待遇に不平不満を口にしていたあの頃の私は10年、自分自身の人生を遅らせたと思っている。他の人が30歳で達成したり理解するものを私は40歳でようやく気付く。絶えず人から10年の歳月の遅れが私の成長だった。
 
その私に転機が来る。
そして今こうして好き勝手なブログを書き、少しでもこれからの若い未来のある写真家に、カメラマンになるためにもがいている人達に役に立ってもらえるなら、と思っている。
 
大学の卒業式を数カ月に控えたある晩、父が切り出した。
「お前は何がしたいんや。」
「そのまま親父の会社に入るわ。」
たったそれだけの会話から私は人の何倍もの紆余曲折を経て、29年目の写真人生を過ごしている。サラブレッドのはずが、サラブレッドでない生き方をした為に、眼を見開いて周りをよく見て生きていなかったために今もまだ人の何倍も努力をしていなければいけない自分を父はきっと見抜いていたと感じる。だから突き放さなかったのだと、。
 
今、私は新入社員に必ず尋ねます。
「何がしたい?」
彼らにはこの世界に夢を持ってがむしゃらに突っ走って欲しいと思います。