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2014年11月25日
私の師の一人、森谷洋至
「おまえは戦場に拳銃一つで何をするんや!」
徳島から京都に戻った私に一喝したその人は京都の山奥にひっそりと住む仙人のような写真家の森谷先生だった。私の母親の趣味の舞踊の繋がりでお会いすることになったその方はおもむろに煙草に火を付け、ふう、と溜め息をした後いきなり尋ねてこられた。私はそれから先生の元に頻繁に通うこととなる。
 
技術はあるけど仕事がない、そう言って憚らなかった私の30歳の時だった。
「これから戦いに出る男が準備も策もないまま、ましてや勝てる可能性もわからないまま打って出てどうするんやと聞いているんや。」
 
気付いた。いや、気づかれたのか。
 
18歳からアルバイトでこの業界に入った私は目の前に山積される仕事に毎日追われる日々だった。ブライダルを主にした仕事の中で縁あって徳島に渡った私はそこでもまた毎日の仕事に追われる日々を過ごした。もう独立しかない。11年間も下積みをしたのだからやるしかない。そんな気持ちだった事を微かに覚えている。京都に戻った私に待っていたのは30年間味わったことのない貧乏生活だった。
 
「物事すべてには自然の摂理というものがあるんや。高坂君の将来は儂にはもう見えとる。」
 
「 土を耕し、種を撒き、水を与え、不要な葉は摘む。実がなり、全ての実を収穫すればもう来年に摂る実は出来ない。また来年に実がなるように今起きていることをよく見なさい。」
 
それから18年。自然の摂理は私の大切な軸の一つになっている。
 
写真の表面的なものに必死になってきたと同時にその裏にある理論、思考方法、結果を予測する力、そんな精神的なものに気付かされた。
広告の技術もそうだが、先生と対面しての何時間にも及ぶ禅問答のような会話は私が一番楽しい時間だった。
 
禅。京都の寺に修行僧と同じく寝泊まりして一冊の本を出版された。全頁白黒で描写された禅の世界は苦の在り方を伝えている。世間とは隔離された狭い世界で行われる圧倒的な苦。今も会社の書棚に入っているその写真集は明らかな記憶とたくさんの厳しい言葉と共に置いている。
 
たくさんの師匠に恵まれてきた私は今たくさんの後輩に囲まれている。
彼らが私と同じように恵まれた写真人生を過ごして欲しいと思う。
師とはもう10年程、私の忙しい、という言い訳で不義理をしていますが、近々お会いしたいと思っております。